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日蓮宗の荒行・水行とは?成満を迎えて考える真の修行の意味

僧侶3名が日蓮宗の水行をしている様子
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皆さま、いつも長光寺のブログをご覧いただき、ありがとうございます。
このたび令和7年2月14日、日蓮宗の水行百日間の満行を迎えることができましたことをご報告させていただきます。昨年に引き続き、信州の地での水行二百日目の達成となりました。

今回は水行について軽く触れるとともに、私自身がこの修行に取り組んだ経緯や得られた学び、そして最後には慢への戒めについてまとめたいと思います。

目次

日蓮宗の水行とは – 厳しい修行の意義と実践

信州の極寒の地での水行
大雪の中での水行

日蓮宗の水行は、文字通り冷水を浴びることで身を清浄にし、心も磨いていく修行法の一つです。
一般には滝行(滝に打たれる修行)なども知られていますが、日蓮宗の水行は主に「日蓮宗大荒行」が始まる11月1日から2月10日までの100日間、お経文を唱え、水行桶にて水をかぶる修行となります。

私は昨年、実に荒行成満以来20年ぶりにここ信州の地にて水行を再開しました。
極寒の地の信州で行う水行は、時に−10度以下で行われるため、身体的にも精神的にも相当な覚悟が必要になります。
またそのような環境なので、水行桶の水はすぐに凍りつき、時には水道管そのものが凍ってしまうために水を出すのにも苦労します。
また水行場は被った水により、常に地面が凍っており、転倒の危険もあります。

水行への挑戦 – 修行を決意した理由

水行桶に水行安全祈願を

このような過酷な状況でも私がこの信州の地にて水行に取り組むことを決意したのは、“自分自身をもう一度見つめ直ししたい”という想いからでした。もともと僧侶として修行や信仰は続けていたのですが、日々の忙しさや慣れから、「初心を忘れかけているのでは」という思いがあったのです。

原点回帰への想い

日々、日蓮宗の僧侶として教えをお伝えし、祈りを捧げる立場にありながらも、ふと気づけば、その祈りや感謝の心が形式的になってしまっているのではないか――。そんな自問自答が心の奥底に生まれていました。
本来、祈りとは形ではなく心の在り方。
にもかかわらず、日々の習慣やルーティンに流され、大切な「想い」が薄れてしまっているのではないかと、己の未熟さを痛感しました。
そこで、もう一度初心に立ち返り、自らの心を奮い立たせるために、水行に挑むことを決意しました。
身を清めるだけでなく、心を研ぎ澄ませ、祈りの本質を改めて見つめ直したいと思ったのです。

自制心を養う修行として

水行は毎日決まった時間に行うため、生活リズムや心の持ち方をきちんと管理しなければなりません。
仕事や法務に追われながらも、どんなに早朝でも、どんなに遅く帰宅しても必ず水行を行う、、、。
自分を律する訓練にもなると考えました。

身体を通じた気づきを求めて

仏道修行では、“身体を通してこそ得られる気づき”が多くあるといわれます。
冷水を浴びることで、理屈抜きに「今ここ」に集中せざるを得ない状況をつくり、雑念や悩みが頭から離れる瞬間を体験できるのではないかとも思いました。

100日間やり遂げて感じたこと

夜間での水行
夜間水行。日中にも増して厳しい寒さです。

自分の弱さとの対峙

毎日同じ時間帯に水行を行うことは想像以上に大変でした。
「今日は気分が乗らない」「体が冷えるから明日は休みたい」――そういった甘えが何度も頭をよぎりました。
そのたびに、どれだけ自分が弱いかを突きつけられたように感じます。
しかし、この弱さを実感できたからこそ、真剣に祈りや決意を新たにすることができました。

感謝の念が深まる

水行を終えて体を拭き、改めて身を包んでくれる衣服のあたたかさを感じる瞬間が、こんなにもありがたく感じられるとは思いませんでした。
日常の何気ないことにも、ありがたさが染みわたるようになり、感謝の気持ちがこみ上げてくることが増えました。

習慣の力

最初は辛かった水行も、半ばを過ぎるころからは「今日もやるのが当たり前」という感覚へと変化していきました。
身体の冷えは同じでも、気持ちが先回りして「やらない」という選択肢を思いつかなくなる。
「習慣化」することで、自分自身が変わるきっかけをつくれるのだと実感しました。

達成感と自信

100日という区切りを迎えてみると、やはり充実感と達成感は大きいものがあります。
私にとっては「できるかどうか不安だったことを、やり遂げた」という自信にも繋がりました。

慢への戒め

一方で、修行や満行の達成は、ともすれば「自分はすごい」「人より頑張った」という思い上がりの心を生み出す危険性をはらんでいます。これを「慢(まん)」といいます。
慢は何かを「やり遂げた」ときに誰もが感じ得る心の動きです。
達成したときこそ、改めて自分を戒め、謙虚になることが大切だと感じました。

本来の目的を見失わない

修行の本来の目的は「己の弱さを知り、向き合い、そこを乗り越えるための道」にあるはずです。
決して自分を他人より高めるための優越感を得るものではありません。
100日間の水行を終えた今、改めてそのことを強く自覚しています。

他者への配慮・感謝を忘れない

自分が頑張ったからといって、それが他の人の努力より上位にあるわけではありません。
ましてや自分一人で成し遂げたわけでもありません。
応援してくれた人、環境を整えてくれた人、身近に支えてくれる家族や仲間――そういった方々の支えなくして100日間の修行はままなりませんでした。

継続的な自己内省の重要性

せっかく得た達成感も、慢に流されてしまえば元も子もありません。
今後も定期的に自分を省みる時間をつくり、「自分は本来の目的から逸れていないか」「他者への思いやりを失っていないか」を問い続けたいと思います。

おわりに – これからの歩みについて

この先も、迷いや雑念が生じることがあるかもしれません。
けれど、そのときは「水行の日々」を思い出し、自分なりに正していければと思っています。
今回の満行を機に、これからも謙虚な気持ちを忘れず、一歩ずつ丁寧に歩んでいきたいと思います。

また先代は50歳まで境内にある井戸の水にて水行をしていたとの話を檀家さまより聞いたことが有り、目標にしています。あと6年、、、。合計800日。
仏道修行では、1000日修行という節目が重視されることがあります。
【信州水行1000日
私はこれを一つの到達点とし、自らを鍛え続けたいと考えています。

皆さま、最後までお読みいただきありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。

南無妙法蓮華経。

補足

⚠️【注意事項】
本記事はあくまで個人の体験談です。水行には危険が伴う場合もあるため、挑戦を検討される方は、必ず指導者のもとで正しい知識と準備をもって臨んでください。

📷【SNSでの記録】
今回の令和6年度水行(令和6年11月4日〜令和7年2月14日)の様子は、Instagramの「ストーリーハイライト」にてご覧いただけます。興味のある方はぜひチェックしてみてください!

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